ありがとう「そごう川口店」 家族の絆を繋いでくれた百貨店

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さて、今日は

【ありがとう「そごう川口店」 家族の絆を繋いでくれた百貨店】です

2021年2月28日(日)

今日でそごう川口店(埼玉県)が閉店になりました。私にとって川口は、生まれ育った街です。川口と言えば、キューポラの街。かつては鋳物工場が立ち並ぶところでした。
私の実家の周りにも個人でやっている工場が多く、いつも鋳物の匂いが立ち込めていました。

結婚してからは、東京に住み始めましたので、それまで29年間、川口で過ごしました。私の実家は、駅からバスで20分あまりのところにあって、家から50mいけば足立区加賀になります。学生時代、社会人時代は、駅まで自転車で通ったりしていました。今ではバスが1時間に1本という少なさになってしまったくらい、駅から遠い実家のあたりは、若い世代が少なくなっています。しかし、今では川口は、「実は住みやすい街NO.1」で人気のエリアになっています。最寄りは、京浜東北線の川口駅になります。東京にも出やすいですので、通勤、通学には最適な場所だと思います。

駅の周りは、高層マンションが立ち並び、商業施設も多くなりました。
埼玉高速鉄道が開通、「川口元郷駅」が出来て、だいぶ便が良くなりました。そんな人口の増加や便の良さも進んでいるのに今回のそごう川口店の閉店がとても残念です。

昨日、実家に用事があって行ってきたのですが、その流れで帰りにそごうに寄ってみました。川口の駅からまっすぐ50mも進めば、3階の入り口にあたります。そこには、フリースペースがあって、いつもは物産店のような催事を行っているのですが今回は、オープン前からの様子をパネルという形で展示がされていました

1991年オープン時のチラシ

オープンしたのが、1991年10月16日。そこから2021年2月28日まで、川口のシンボルとして存在していました。オープンした頃、私は社会人です。当時の様子は、あまり記憶にはないですが、パネルで見ると、オープン当日は川口駅のあたりまで人が立ち並んでいるのがわかりますね。

人々にとって、百貨店が川口に出来るというのは、一種のステータスだったに違いありません。私の記憶の中にあるのは、3階にインポートブランドのショップが入って、20代の私にとっては、中々 手が出ないお店ばかりでした。
途中からイタリアのブランドPRADAがオープンして、海外ブランドに憧れていた私は、ようやくパラシュート素材のトートバックを買うことができました。とても懐かしいですね!イタリアの洋服のブランドMARELLA(マレーラ)の素材がとても良くて気に入って買っていました。

そんなバブルの時代にあった百貨店ですが、バブル崩壊と共に、人々の関心は高級品から日用品へと変化していきました。
ユニクロ、GU、100円ショップなどがショップ展開するようになったりして、オープン当初の華やかさはなくなっていきました。

私は、結婚して東京に住み始めてからはあまり実家にはいかなくなりました。駅から遠いという理由と、母親との関係が良くなかったので、10年以上は、川口とは疎遠になりました。しかし、親の健康状態が良くないとわかってきた時、たまに実家に行くようになりましたが、母親とは、会話が続かず、苦痛になり、実家に立ち寄る時間はわずかでした。そんな私達家族にとって、そごうという存在はとても大きく有難かったのです。
理髪店を経営している親は、お店が休みの月曜日の午前中、1週間に1回、そごうに買い物に行くのが唯一の楽しみでした。主には食料品ですね。
駅までタクシーで乗り付け、買い物が終わるとまたタクシーで家まで帰るという決まったパターンです。そごうの食料品売り場に行って、1週間分の食材を買ってくるのです。

毎週同じお店に行って、同じ物を買っている年配の夫婦。食料品売り場では、両親は有名だったようですよ。母親は、難病指定を受けていて足腰が弱く、前かがみになってしまい、まともに歩けないのです。近所の人に自分の弱々しい姿を見られるのが嫌で家の外にも出ないくらい。

それが、百貨店では、食料品売り場にあるカートを引いて歩くことが出来るので
この時だけは、カートに体重を乗せて、スイスイ歩けるのです!
母親にとっては、周りの目を気にせず、自分の足で歩くことができる唯一の場所なのです。

【休みに鰻を食べに】

ここ数年は、月曜日が祝日になることが多い。このタイミングに合わせて、私と旦那さんと両親と 4人でレストラン街で食事をすることもかなりありました。いつも決まって「つきじ宮川本店」です

年に数回ですが、月曜日が祝日で重なる時には、お互いに、「また鰻屋で食事をするの?」と連絡を取るようにもなりました。いつも鰻重と天ぷら、お刺身がセットになったものを注文するのですが、成人男性が食べてもかなりのボリューム感です。

2019年7月の食事会のとき

父親は、2021年で83歳になりますが、それをペロリと食べます。母親が食べきれなかった分を食べたりして、まるで部活をやっている中学生並みの食事量なのです。

ビックリです。

これだけ食欲があるなら元気な証拠と思って、高齢になった両親の様子を知る機会が出来るので、とても有難かったです。そして、実家まで行くよりも川口駅近くなら気軽に会えるし、旦那さんにも遠くまで来てもらわなくても大丈夫なので、私としても安心でした。そごうでなくても、食事するお店ならいくらでもあるじゃない!と思うのですが、足腰の弱い母親にとっては、お手洗いに行くのにも一苦労ですし、バブルの頃に建てられたそごうのお手洗いは個室が広くて使いやすいのです。だから、他の商業施設に行くよりも良かったのです。

【人とふれあう場所であった】

そごう川口店があったからこそ、そこで会食する楽しみがあって両親とも気軽に会うことが出来ました。

家族の絆を繋げてくれた場所なのです

百貨店というと、古いイメージが先行しやすくなってきました。時代遅れとか、入っているお店がどこの百貨店も同じだよねなど。しかし、地元の人々にとっては、毎週、いや毎日通っている人もいたと思います。食料品売り場、洋服売場に気軽に寄れる場所であり、お店のスタッフの人との会話も楽しみ、人と会って、日常のたわいもない会話をするのです。

自分という存在を確認する。そんな場所であったに違いありません。

それが生きがいに繋がっていたと思います。時代の変化と共にライフスタイルが変化し、オンラインショッピングやリモート会議など便利なものが優先されがちです。しかし、人間というものの本質は「人は人と触れ合うからこそ、自分という存在が認識できる。」
人と会って、会話を楽しみ、無駄かなと思う時間の中にこそ、実は心が豊かになる要素もあるのではないでしょうか。

「人とのふれあい」という場所もこれからの時代は、どこかで残っていって欲しいなと思います。いや、残していきたいなと思います

【ありがとうそして未来へ】

ひとつの時代を駆け抜けた「そごう川口店」

ありがとう。

家族の絆を取り戻し、つなげてくれた場所であります。一生 忘れません。

時代の変化と共に、人の行動も変化していかなくてはなりません。高齢になった両親とまたどうやって会うようにしていくのか。これからの私達の課題です

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今日も最後までお読みいただきまして
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